「心を注ぎ出す相手」   8/12  サムエル上1:1〜20

 心を注ぎだして祈る相手として神さまがいらっしゃることは、とても大きな幸いです。
このことは力の源であり、このことにより慰めと支えを与えられます。  

 ハンナという女性もそうでした。神さまに祈る中で、慰められ、希望を得て歩み出すことができました。
 ハンナは、不妊という深い悩みを持っていました。自分ではどうしようもできないことでした。
その悩みに追い打ちをかけるようにして、ハンナを苦しめる者がいます。

 どうしようもできない現実の壁と、悪意ある人からの攻撃で、彼女は疲れ果てています。
 悩み、苦しみの中にある時、それを受け止めてくれる親しい人が側にいることは大きな慰めになります。
人は仲間がいると勇気や力がわいてきます。しかし、聖書は、人間同士の支え合う姿にも限界があることを語ります。
 ハンナは人間関係の限界にも悩まされます。ハンナを心から愛する夫からも理解されません。
慰めを得ることはできませんでした。神殿の祭司からも誤解されます。

人格者であるはずの祭司ですが、彼女の呻くような祈りを見て、ハンナが酔っていると思うのです。
人と人との間にある、限界、裂け目が浮き彫りにされます。
 仲間の存在は素晴らしいことでありますが、それだけでは覆い尽くせないものがあります。
 ハンナは、神に心を注ぎ出します。たとえ人が誤解し、理解してくれないことであったとしても、心の底まで
知り抜いておられる神は、しっかりと受け止めてくださる方だからです。  

 ハンナの出来事を通して、神さまは「わたしに心を注ぎ出しなさい」と迫っておられるのです。
「自分ではどうにもできない出来事に直面し、悪意ある者に責められ、周囲の親しい人や信頼する人が
分かってくれないことがあったとしても、私はあなたをがっちりと受け止めよう。」

 
ハンナの表情は変わりました。神に受け止められていることが分かった者も変わります。